白河には松平楽翁公(定信)が、藩の財政を潤そうと焼き物を作らせた白河焼がある。
別名『白楽焼』と呼ばれる。この窯については焼き物がわずかに数点現存するだけである。

「偉人史叢」第十巻、白河楽翁(東京裳華房・明治三十年一月二十日発行)の中に、
「陶器の製作に至りては、最も苦心を見る。
即ち白河中町の陶器商下田屋某に命し、家屋資金を貸給して、以て陶器製造所を設けしめ、
或は其技に妙なるものを尾州瀬戸に赴かしめて、陶器製造の業を研究せしめ、帰国の後、
城西の粘土を以て多様の陶器を製造せしめたり。
中に就き急須焜爐は其の趣構、其の着色並に彼が公餘の間暇に工夫したる新意匠に出てたるものにて、
最も都人士の喝采を博せしなり」と、記してある。

白河藩主松平定信は、自分の趣味と殖産政策の一つとして、白河城下桜町の瓦師、小林覚左衛門に命じて
陶器製法について各地を見聞させ、領内田島入方と長坂村の陶土で梨々の陶器を製作させたといわれる。

白河の土を使って『白河焼』を再現に挑戦しています。

白河の土

白河の粘土質の土を使います。

ろくろで器を形成

白河の粘土から器を作ります。

窯出し

焼き上がりました。
少しずつですが、白河の土を使った作品を増やしていきたいと思っています。